プレイヤーの負担(ツイッターより再掲載)
ゲームブックとひと括りにしても、紙に向いている作品とデジタルに向いてるものがある。 分岐小説タイプはどっちで読んでも苦じゃないけど、ゲーム然とした作品は紙のほうが遊びやすいものが多い。 フーゴ・ハルさんの、1セクション進むごとにカウンターを+1するものはデジタルのほうがいい。
— ドロシー! (@game_book) 2015, 8月 24
なるほど確かに、それはプレイヤーに負担かけ過ぎじゃないの?
というゲームブックも確かに存在しますねぇ。
たとえば、双方向モノで地図書かないとどうにもならないようなヤツは、
むかしから賛否両論だったみたいだし。
自分での地図書きが、お楽しみ要素となっていて、
往年のこーゆーののファンには大変ウケた(僕も楽しんだ)。
オートマッピングが当たり前というこの時代に。
メンドクサイことでもお楽しみ要素になりえる、のだけれど、
どこまで負担させるかが、ポイントなのでしょうねぇ。
(バランス感覚とか、『勘』、なのでしょうね、作り手の)
「お楽しみ」として何かを読者に負担させるのは、
綱渡りのようなもので、ふとしたことで、
「これじゃあ、電源ありゲームで処理したほーがいーじゃん」
となるんだな。ん~~、おもしろ、おもしろ。